自動車整備業は昭和44 年よりスタート。それまで色んな事をやりました。
【3月12日インタビュー】(株)菅原自動車 代表取締役 社長
菅原 富雄 様に色々お話をお伺いさせて頂きました
クジラのキャラクターがひときわ目を引く菅原自動車の看板昭和45年より今の戸塚区吉田町へ移転して、今年で43年目。長く地域の皆様に愛される存在になっております。
昭和44年、認証ぎりぎりの小さな整備工場を譲り受けました。
私が自動車整備工場を始めたきっかけは、昭和44年、ある方から整備工場を譲り受けたのが始まりです。場所は戸塚区深谷町、以前、横浜ドリームランドがあった辺りです。工場といっても規模は認証がぎりぎりとれるぐらいの小さなものでした。借地、借家の工場で従業員は社長以下5名、営業権利を引き継ぎ、社員をすべて引き受ける形でスタートしました。私はもともと出身が山形で、昭和30年に上京、初めは神奈川自動車学校の教職を5年間経験、その後、横浜いすゞ自動車にてディラー営業として2年間勤務、昭和42年には現在の戸塚自動車学校の創立に取締役として携わり、 平行して自動車解体業の経営もしておりました。そして最後に自動車整備事業となるわけです。人生いろいろと言いますが、創業までの経緯でいろいろやりました。
この地で44年、ずっと地域の皆様に支えられてまいりました
当時の車検というのは、今と違い入庫して三日程かけて整備を行うため、入庫量の増加に伴い工場も手狭になりましたので、当時まだ安かったここ(戸塚区吉田町)の土地を買って工場を移設しました。幸いこの辺りはダイエー戸塚店が昭和37年からあったり、ブリヂストンの工場も古くから操業しており、住宅地としても開けておりました。地域の皆様の有り難いご愛顧に支えられ、昭和53年には車販の方で三菱の特約販売契約を結びカープラザ戸塚をオープン。カープラザの看板は途中で下げましたが、鈑金・車検・整備からおクルマの販売まで地域の皆様と深くお付き合いさせていただき、おかげ様で今日までこうしてやってこられました。
昭和50 年、全日本ロータス同友会発足。当時、先代小林社長と歩いて同友拡販をしました。
ロータス神奈川では菅原自動車はブラザーモータースに
次いで二番目の加盟同友。同友コードも27「002」番です。
ロータス神奈川の草創期。小林社長とともに自らの足で歩いて同友拡販されたお話は非常に感慨深いものがありました。
ブラザーモータース先代小林社長に横浜の崎陽軒・会議室に呼ばれ、その場で入会を決めました。
昭和50年が全日本ロータス同友会の発足ですが、それに先立ちある日突然、ブラザーモータース先代小林社長に横浜駅東口の崎陽軒にある会議室に呼ばれて「菅原さん、ロータスに入会しませんか」と言われました。私自身それほどロータスについて詳しい知識があった訳ではないのですが、当時、私は小林社長の素晴らしい会社運営を経営のお手本にしていた事もあり「小林さんのお勧めなら間違いない」という確信もありましたので、その場で入会を決めました。その後、全国から集まった同友が一同に会して、東京・帝国ホテルで全日本ロータス同友会設立総会となったわけです。
初めの頃は小林社長と二人で歩いて同友拡販
人から人へ紹介が繋がり、やがて同友も増えていきました。
ロータスをスタートして初めの頃は小林社長と二人で歩いて同友拡販、整備工場を一軒一軒訪問・説明してまわりました。私自身もいろいろな場面で勧誘をさせていただき、振興会でご一緒だったミゾロギ自動車・先代/溝呂木社長を約1年かけて説得したのを今でもよく覚えています。その溝呂木社長が藤澤社長をお誘いしてといった具合に、人から人へと紹介が繋がり、次第に同友の数も増えていきました。共通して言えるのは、こうして集まった同友の皆さんは「前に進もう」という意識が強い人ばかりでした。とりわけ小林社長は新しい試みへのチャレンジに意欲的な方で、当時1,000万円以上もする業務コンピューター【C200】を業界に先駆け導入、同友の皆さんにも勧めてられて、ウチを含め5~6社が導入しました。
クルマが売れない時代。しかし我々整備業にとってはむしろチャンスの時代
一台のクルマに永く乗る時代。今後ますます整備業における
『車検』『鈑金』『塗装』の重要性は高まるはず。
技術と経験がモノを言う『鈑金・塗装』の分野こそ我々整備業が最も得意とするプロフェッショナルの世界です。
クルマが売れない時代。近頃はお客さんに
「車を『買って下さい』」って言われます。
近年は本当にクルマが売れない時代になってまいりました。売れないというよりも「売って採算が合わない」と言った方が正しいかもしれません。近頃ではお客さんに「車を『買って下さい』」って言われます。下取りではなく現金でです。新車もそうですが最近は中古車も数としてはそこそこ売れますが、売るためのロスコストの方が大きい。しかし私はこうした「クルマが売れない時代」というのはむしろ我々整備業にとっては逆に「チャンスの時代」なのではと考えております。クルマが世の中から無くなる訳ではないですし、現に登録台数は横ばい。つまり永く乗られている。だからこそ『車検』『鈑金』『塗装』といった分野、つまり我々こそが請け負う仕事が今後ますます増えてくるはずなのです。
今こそ全国1,500社のロータス同友の知恵と情報を結集する時
必ずFCやチェーン店にないアイディアが生まれるはず
幸いロータスには多くの協賛企業が参加されており、保険会社の強力なバックアップ体制もあります。特に『鈑金・塗装』の分野では他には無い強いパートナーシップがある。そして私が最も可能性を感じるのは、FCやチェーン店の団体と違いロータスは個性豊かな様々な地域のいろいろな同友が集まっている、神奈川にはないアイディアが他県の同友から生まれる事だってあるかもしれない。だから今こそ全国1,500社の同友の知恵と情報を結集して「整備業の全く新しいあり方」を構築する好機ではないかと考えております。
私はそういう意味で今後ますますロータスに期待しています。