創業は昭和39年。ちょうど東京オリンピックがあった年です。
【1月10日インタビュー】中山自動車販売(株)・代表取締役 会長 中山 武夫様に色々お話をお伺いさせて頂きました
中山会長とヤナセとのお付き合いの歴史は永く
店舗の看板には、外車メーカーの名前が並んでおります。
昭和39年、まだ田んぼばかりだった川崎市中原で創業
当社の創業は昭和39年5月1日、ちょうど東京オリンピックがあった年です。まだこのあたり(川崎市中原)も田んぼばかりでした。クルマに関してもちょうどこの年を境にモータリゼーションが進んでいった時代でした。まさにそれまでは、走っているといえばオート三輪ぐらい、セルモーターもなくて足でキックを踏んでエンジンをかけていたような時代でした。東京オリンピックといえば当社のすぐ近く、いま国際交流センターがあるあたりに、当時法政大学のラグビー練習場があって、そこの木造の合宿所で、あの重量挙げで東京オリンピックで金メダルを穫った三宅義信さんが毎日トレーニングをしていたのを今でもおぼえています。去年その姪っ子さんの三宅宏実さんがロンドンオリンピックで銀メダルを穫られていましたから、そう考えるとあれから随分経ったのだと時代の流れを感じます。
「売る立場」から「売って整備をする立場」へ
私はこの会社を創業するまで、昭和28年からの11年間ダイハツのディーラーで販売の営業をしておりました。ですからスタートも中山自動車『販売』という販売スタイルでの創業でした。しかし「販売だけしていれば良かった」会社勤務時代とは違って、こんどは売ったお客様のクルマの面倒をみないと商売は成り立たない。しかし逆に、しっかりお客様のクルマを整備すれば「またウチで買っていただける」。この「売って、整備して、お付き合いが深まり、また買っていただける」という関係構築こそが創業から一環して変わらない当社が一番大切にしている会社の根幹の部分です。ですからおかげさまで創業当時から今日までお付き合いをして下さっているお客様も数多くいらっしゃいます。
こんな住宅街のど真ん中でクルマを売る。そのための戦力は最終的には『営業力』
閑静な住宅街にある中山自動車販売さん。会長がおっしゃる様にここに自動車整備工場がある事は気が付かないかもしれません。
中山自動車販売さんのロータス加盟は昭和56年
中山会長も二期にわたり神奈川支部の支部長を務められました
静かな住宅街で、大きな通りに面しているわけでもないので
「飛び込み」のお客様なんかは、まずいらっしゃいません
このへんは見ていただいてお分かりの様に住宅街のど真ん中、とくに大きな通りに面しているわけでもないので、知らない人からすればここに自動車屋さんがあるなんて事も気が付かない。ですから当社の唯一の戦力は「営業力」だけなんです。これは「人間力」と言い換えてもいいかもしれません。当社には今5人の営業スタッフがおりますが、とくに会社からは「こう売りなさい」という細かい指示は出していない、よっぽど重要な判断は指示もしますが基本的にはそれぞれが「自分で考えて」営業をしています。結果お客様と非常に強い関係が構築される。ほとんどのお客様はこの地域の方が多いですが、こうした営業スタッフのおかげでとんでもない遠方のお客様までいらっしゃいます。「お客様からお客様への紹介」が広がった結果です。なかには電話一本でおクルマを注文される方もいらっしゃいます「お前にまかせるよ、頼んだから」といった具合にです。本当に有り難い事ですし、これも創業以来培ってきた「お客様の顔と向き合う商売」のDNAが受け継がれている結果であると思いますし、これからも譲る事の出来ない中山自動車販売のポリシーです。
ロータス加盟は昭和56年。
当時の(初代)会長・中村昭壹さんは素晴らしい方だった。
当社のロータス加盟は昭和56年になります。当時ヤナセの会合によく出席させていただいておりまして、その折、自動車整備工場どうしで話し合いが出来る場は無いかといろいろな方に相談したところ、当時ロータスに加盟しておられた新村自動車さんに「ロータスという組織があるよ」というご紹介を受けたのがきっかけでした。今の室谷会長も素晴らしい方ですが、当時の初代会長・中村昭壹さんもすごい方でした。手弁当でロータスを立ち上げ、その考え方といい発想といい「まるで自動車屋さんじゃないみたいだ」という印象でした。それから私も11期・12期と神奈川支部の支部長をさせていただきましたが、この組織は本当に勉強になりますし、最近では大きな規模の会社さんも次々に加盟して下さっておりますので、今後の神奈川支部の発展が楽しみでもありますし、もちろん当社も頑張って行きたいと思っております。