創業前、車の販売を通じて学んだ「お客様を心から大切にする精神」
【10月31日インタビュー】藤沢自動車(株)・代表取締役
藤澤 仁 社長に色々お話をお伺いさせて頂きました。
工場内にはスズキ販売店の歴史を感じさせるこんな懐かしい
一台を発見「スズキ・フロンテ(1971年型)」
藤沢自動車さんの所有車でいまでも現役で走っているそうです。
創業前、トヨタの車販畑で大変多くの事を学びました。
当社の創業は昭和49年。それまで私はトヨタのディーラーに勤めておりました。昭和36年に横浜トヨペットに入社、43年からは立ち上がったばかりのトヨタオート(現ネッツトヨタ)へ出向、10年以上にわたり営業業務の現場に身を置きました。登録書類を運んだり車を回送したり、言ってみれば雑用係のようなものでした。当時はまだ免許を持っている人も少なく「車を買うために免許をとる」方も多く、お客さんの自動車学校の送り迎えなんかもやったりしました。また免許取り立てのお客さんの新車の試運転なんかにもよく同乗しました。とある社長さんなんかは50歳を過ぎて免許を取得、箱根の山道を一緒に同乗して小田原まで走りましたがあれは怖かったです(笑)また我々が新入社員の頃はよく夜中のロードサービスもやらされました、仲間と宿直で会社に泊まり込んでバッテリー上がりやタイヤを溝に落としたお客さんからの電話を受けていました。ちょうど今で言うところの「24時間ロードサービス」みたいなものですよ。
有り難い事に今でも当時のお客さんが来て下さいます。
その後昭和49年に独立。自動車解体業を経て自動車販売を開始、昭和56年にはスズキさんから「ショールーム建てませんか」というお声もかかり、本格的にスズキの販売を開始しました。当時スズキはアルトの販売が好調で全国的に販売店を増やしておりました。あの一世を風靡した「アルト47万円」の時代です。まあ我々のような小さな販売店にとっては、それでも商圏は半径2〜3kmの地元のお客様がメインなのですが、有り難い事にかつてトヨタ時代に私が担当していた箱根のお客様が今でもウチに来て下さいます。本当にこうしたお客様とのご縁には感謝の思いでいっぱいです。
昭和58年にロータス加盟。エネルギッシュな諸先輩同友の方々から多くを学びました。
昭和58年のロータス加盟以来、キャンペーン参加を通じて様々な事を学び、会社も一緒に発展してまいりました。
日本の自動車整備の技術力は世界のトップレベルこのノウハウを世界市場で生かす事が今後の日本の未来を切り開く大きな足がかりになるはず
ミゾロギ自動車商会・先々代溝呂木社長にお誘いをうけて
当社のロータス加盟は昭和58年。当時私は自動車整備振興会の足柄支部で役員しており、役員合同の会議で、同じく平塚支部の役員をしておられたミゾロギ自動車商会の先々代の溝呂木社長に何度かお目にかかっていたのですが、その懇親会の折「藤澤君、こんな組織があるんだけど」と誘われたのがきっかけでした。その頃は本当にエネルギッシュかつ勉強熱心な諸先輩方がいっぱいおられました、溝呂木社長はその後ロートピアの代表取締役もやられましたし、その他、本部の経営教育委員長もやられたブラザーモータースの小林先代社長、関東ブロック長を二期つとめられた斎藤興業自動車の斎藤先代社長、中西自動車の中西前社長は鎌倉市長までやられました。そういった「今のロータスの礎」を築いた諸先輩方に本当に多くの事を学ばせてもらいました。いわばこうした方々が「自分の会社の成長のためになる『生きたお手本』」でした。皆さん良い意味で「負けず嫌い」な社長さんばかりで、まさにキャンペーンを通じてお互い切磋琢磨の活動の日々でした。こうした「本音の意見をぶつけ合い学び合う成長の場」としてのロータス本来の基本精神を、次世代の若い経営者の方々にも是非引き継いでいけたらと考えております。
グローバルな展開を視野に入れた
これからのロータスの未来の展望について
いま私のところへアフリカのコンゴにおける自動車に関する整備のインフラ構築、レンタカー事業の展開などの相談が来ています。実はこの話を持ってきて下さっているコンゴ出身の方は20年ほど前から当地にお住まいの方で「20年間みてきて、日本のビジネスに携わる精神面だとか作業品質は自分が知る限り世界で一番であり、そういう確かな技術・仕組みを自分の生まれた国に落とし込みたい」とおっしゃって下さっています。また同じくコンゴでの学校作りのプロジェクトを進めていらっしゃる慶応大学の湘南キャンパスの大学教授も紹介して下さいました。この12月には早速コンゴから学生が三名が日本の視察にやってきます。こうした動きに我がロータスも応えて、アフリカへ技術やノウハウを提供したり、逆に若い人材を技術習得の研修生として受け入れる。そうした活動を通じてアフリカとの交流を深めていく事が出来れば、これから巨大市場となる可能性が高い若年人口の多いアフリカの地への大きな足がかりとなるはずです。こうしたグローバルな展開を視野に入れた活動を、私も今後積極的に本部へと働きかけていくつもりです。いままで我々が培ってきた自動車整備のノウハウを持ってすれば、必ずや日本の世界進出の一翼を担えると確信しております。