昭和30年代のまだまだ車の売れない時代「でも売らなきゃ整備工場が成り立たない」
(有)ミゾロギ自動車商会 代表取締役 社長 溝呂木靖 様
創業時より在籍の五十嵐茂 様 にお話をお伺いさせて頂きました
創業当初の三名のスタッフ写真
【(左から)先々代社長/五十嵐様/犾守様になります】
まさに「同じ釜のメシを食べた仲間」です。
昭和34年創業/社長含めて3人の町工場からスタート
当社の創業は昭和34年になります。その当時の話は私よりむしろ、こちらの五十嵐の方が詳しいです。【五十嵐茂様】創業は社長を含め3人でスタートしました。整備工場というよりむしろ町工場といった感じでしたね。従業員皆住み込みで働き、朝・昼・晩と社長のお母さん、現社長のおばあちゃんの作ったご飯をみんなで食べてました。ちょうどこの店舗の奥あたりに釜があって、薪でご飯を炊いていました。まさに名実共に『同じ釜のメシを食べた仲間』ですね。【溝呂木社長】もともと父(先々代社長様)はフジサワダイハツでメカニックをやってました。今のようなスズキさんとのお付き合いは昭和58年から始まりますが、それより前の昭和30年代当時はまだまだ車の売れない時代でした。でも父は「いくら整備工場と言ったって肝心の車が売れなければ成り立たない、そのためには売らなければ」と「ツナギを着て整備をして、脱いで車を売りにいく」という毎日でした。それが後のショールーム開設へとつながります。当時平塚でショールーム併設の整備工場は当社が初でした。
「整備」「販売」を通してお客様の本当の意味での満足を知る
整備して初めて分かる事、販売して初めて分かる事があると思います。お客様に対して「売るだけ」「修理するだけ」の関係ではなく、ずっとお車のお世話をさせていただく。お客様が安心してカーライフを送っていただくためのサポートは『トータル』に行う事が真のお客様の満足につながる。それが父の創業当初からの思いでした。ですから、早くからロータスクラブ同友として入会させていただいたのも、まさに当社のこうした思いとロータスクラブの精神がまったく同じ理念を目指している、そうした心からの共鳴共感からでした。
ロータスクラブの歴史とともに当社も成長させていただきました
平塚では初となるショールーム併設の整備工場としてリニューアルオープンした当時のお写真です。
毎年・年三回催させていただいております『お客様感謝祭』馬入川を望む整備工場内を開放して地域の皆様にゆっくりのんびり過ごしていただきました。
地域の皆様に支えられて、おかげさまで53年。
日頃の感謝の気持ちを込めて
年に三回『お客様感謝祭』を開催させていただいております。
創業以来ずっとここ平塚の地で当社は「地域の皆様」に支えられてまいりました。ありがたい事にもう車歴5台以上も当社でお車をお買い頂き、ずっと車検整備をさせていただいておりますお付き合いの長いユーザー様もいらっしゃいます。こうした地域の皆様に少しでも日頃の感謝の気持ちを伝えたいとの思いから、当社では年に三回『お客様感謝祭』と銘打ち、ささやかではありますが当日お越しいただいた方々に様々な記念品をご進呈。ご家族でお楽しみいただけるいろんな企画もご用意させていただいております。地域の皆様の『生活の一部/思い出のひとつ』になれればとの思いです。
ロータスクラブの歴史とともに
当社も成長させていただきました。
こうして今日まで成長させていただいたのも、やはりロータスクラブ同友の皆様のおかげです。ともに勉強させていただき、またともに励まし合う。そうした仲間意識・強い絆に支えられ、おかげさまで当社も皆様とともに成長させていただきました。とくにキャンペーンを通じてつけさせていただいた販売力は何にも代え難い皆で作り上げた大きな財産です。さらに今年は、今まで誰も成し得なかった夢の『最優績支部賞/社長賞二連覇』に向かって、目下ロータス神奈川一丸となって取り組んでおります。必ずや『V2達成』をとの思いでやってきましたこの一年ですが、ロータス神奈川販売部長としましても、同友の皆様への日頃の感謝の気持ちをこの場を借りてお伝えさせていただければと思います。