「一回の営業より、困った時の助け。それを超える物は無い」という創業者の言葉
株式会社アマギ 代表取締役 小川 一弘 様にいろいろ
お話をお伺いさせていただきました
ここがアマギ「発祥の地」創業当時の面影を残す第一工場です。思い出の「二階の自宅」もそのまま残っております。
ここがまさに(株)アマギさんの社史の『原点』ですね。
創業は昭和45年。当時は工場の二階が自宅でした。
当社の創業は昭和45年。父と父の弟2人のたった3人でのスタートでした。ちなみに社名の「アマギ」は父たちの故郷、静岡県・伊東市一帯に大きくそびえる「天城山」から命名しました。静岡から遠く離れた相模原市での創業ですが、故郷への思い入れは強く2004年には「錦を飾る」ではないですが伊東営業所も開設させていただきました。創業当時の話しに戻しますと、会社立ち上げのきっかけは、創業前まで父らはいすゞの社内外注として整備を請け負っておりましたが、法律が変わり車検業務は社員があたらないといけなくなってしまった事、そして父の話によれば「私が生まれた事」も大きなきっかけになった様です。とはいっても潤沢に資金があった訳ではないので、創業当時は工場のすぐ向かいのアパートに住んでおりまして、そこからはウチの工場がよく見えて、幼少の頃、工場の前にトラックが何台も行列を作って整備待ちしていた光景をよく憶えています。その後、工場の二階に自宅を建ててそちらへ移り住み、まさに自分にとって「幼少の思い出=工場の風景」になりました。
夜中だからといって、積み荷を積んだまま止まっちゃってる
トラックに「明日行きます」という訳にはいかない
でもじつは工場の上に住んでいたというのには、もうひとつ意味がありまして、当時トラックの運転手さんから夜「止まっちゃったから来てくれ」という電話が度々ありました。そんな時父は夜中にも関わらず現場まで出かけて行きました。夜中だからといって、積み荷を積んだまま止まっちゃってるトラックに「明日行きます」という訳にはいかないですからね。そんな時よく父はこんな事を言っておりました。「一回の営業より、困った時の助け。それを超える物は無い」と。私は今でもこの言葉を大切にして、この精神をこれからも受け継いでいこうと思っております。
これから入ってくる新しい社員にも「夢と希望」が持てる企業にしたい
トラック専用の大型リフターがフル稼働する工場内
この日も数多くのトラックが入庫しておりました。
こちらは今年1月にオープンした八王子山田店・白井店長です。お店もまだ新しく、明るくきれいな店内でした。
車検のコバック5店、鈑金のモドーリ2店、
ダイハツ車販に加えてトラックセンターという多店舗展開。
とくに近年、当社は数多くの店舗をオープンしてまいりました。車検のコバック5店、鈑金のモドーリ2店、ダイハツ車販に加えてトラックセンター、工場とサテライト店舗を全て含めると、先ほどの発祥の地・第一工場から数えて10店舗を展開しております。これはビジネス的には「車検・整備・鈑金は近所のお店がやはり一番便利」というお客様のニーズにきめ細やかに対応するという基本戦略に基づいております。でももうひとつこの戦略には意味があります。それは社員に出来るだけ多くの「活躍の場」を与えるという事です。これから入ってくる新しい社員にも「頑張って成長し、力を発揮できる『未来の自分の活躍の場』」を具体的な形で提示する。そんな意味合いがあります。まさに社員とともに成長し、そして喜びを分かちあえる企業作りが私の、そして父の思いです。
これから大きく変わりゆく自動車市場の先を見据えて
先手先手を打って行こうと考えております。
最近世間では「若者のクルマ離れ」が叫ばれておりますが、私は少し違った見方をしております。若者がクルマを買わなくなったというよりむしろ若者を含めた労働人口全体が大幅に減少している事が「クルマが売れない理由」の大きな要因だと思っております。ならばどういう戦略をとるべきか、私はズバリ「女性」と「高齢者」をターゲットにもっと力を入れるべきだと考えております。最近の入庫車両は軽自動車が非常に多い、ちなみに軽自動車の7割近くのオーナーは女性です。こうした市場動向を見据えて、当社ではいち早く管理職に女性を起用してまいりました。女性目線で見たお店づくりは強力な武器になります。加えて今後は自動車自体の構造も内燃機関からEVへ、言ってみればメカから家電製品へ変わっていくでしょう。ですからこれからの時代は「メカニックの現場でもきめ細やかな作業の出来る『女性』を積極的に採用・育成」する事も視野に入れております。確実に市場が変化していく自動車業界において、当社は先手先手を打って行こうと考えております。